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Masao's Blog ~ BIZARRE ADVENTURE ~

レイディーバグという会社を経営している平世将夫の「奇妙な冒険」Blog

くう、ねる、あそぶ

先週のほぼ日の「今日のダーリン」でこんな内容が話題になりました。

ちょっと長くなりますが抜粋します。

これはもう、根拠も証拠もなんにもないんだけど、ぼくの直感にしか過ぎないかもしれないんだけどね。いつも機嫌のよくない人とかさ、ものすごく忙しそうで取りつく島もない人とかさ、なにかと冷笑的に否定する人とかさ、どんなことでも悲観的に考える人とかさ、‥‥いや、ちがってるかもしれないよ‥‥その勝手な思いこみかもしれないんだけど、お風呂に入ってないんじゃないかと思うんだよ。シャワーだけですませるとか、ささっと義務的に入って暖まらずに出ちゃうとか、そういうことしてるんじゃないかとね。

お湯にからだをつけて、ゆっくりと温度の交換をして、ふー、とか、あ〜〜とか、ため息ついたりしてさ、汗かいて、適当に肌なんかも色が変わったりしてね、そういう時間を過ごすのって、わりと忘れられてるような気がしたんだよ。

お湯にからだをつけて浮力をたのしむ。そして、温度というごちそうを肌から受けいれる。湯気を呼吸して、湿り気をいただく。お湯にじぶんをゆだね、まるごとをやわらかくする。これを毎日やっている人と、やってない人の間には、けっこうなちがいがあると思うんだ。

 その翌日の「今日のダーリン」からも抜粋。

温度をもらうというのは、人のこころまで癒すもんだ。日なたぼっこもそうだし、カイロや湯たんぽ、もーちろんハラマキなんかも、そういうものです。「ほぼ日」のうちうちのテーマのひとつが、「世の中をあっためる」ということですから、いい反響があったというのは、うれしいことです。 

三度三度のめしを、よく噛んで、おいしく食べて。決まった時間に気分よくうんこして、たのしみのひとつとしてお風呂にゆっくりつかって、よく寝て、すっきり起きて、いつもおだやかに笑顔でいるような人に、だれも勝てるとは思わないほうがいい。
 
そうねぇ、見方によっては、平凡そのものかもしれない。どんな特技があるとか、どういう才能があるとか、どれだけ立派なことをしたとか、まったく問わなくて も、生きることの基礎みたいなことが、しっかりしたリズムでやれているというだけで、それは、とても大きな強さだと思えるんです。
 
「健康で機嫌がいい」ということから、人びとは、どれだけ離れてきているか。「おいしくて、たのしくて、きもちいい」ということを、人びとは、どれだけ求めているか。それを、実際に日々味わってる人は強いよー。

 

とくに

三度三度のめしを、よく噛んで、おいしく食べて。決まった時間に気分よくうんこして、たのしみのひとつとしてお風呂にゆっくりつかって、よく寝て、すっきり起きて、いつもおだやかに笑顔でいるような人に、だれも勝てるとは思わないほうがいい。

というところ、なるほどなぁ〜!と思いました。これって、ちゃんと「生きている」人なのでしょうね。なんか変な言い方ですが。
というのは、産まれたばかりの息子をみていると、生きるってすごいなぁ〜と感じるのです。
毎日、たべて、ねて、うんちをして、時々不思議そうにきょろきょろ世の中をみわたして。
その繰り返しですが、何というか、ピュアに生きている力強さみたいなものを感じます。

 

以前からずっと思っていることなのですが、ひとが生きていくうえで大切なことは、「くう、ねる、あそぶ」に集約されるんじゃないでしょうか。起業するときに「株式会社くうねるあそぶ」にしようと本気で考えていたくらい、この事をずっと考えています。

そして、赤ん坊をみて確信しました。

赤ん坊こそ、まさに「くう、ねる、あそぶ」な存在だ!と。

 

「今日のダーリン」に書かれているように、産まれたときに持っているようなピュアな「生きるという力」を求めてしまうひとは多いのかもしれません。
そうやって生きられないからこそ、そこへの渇望はきっとあるでしょう。
そこにビジネスチャンスもあるかもな・・・なんてピュアとは正反対な邪な心で考えてしまう自分もいますが(苦笑)

 

普段は一切湯船に浸からず、シャワーのみな私ですが、ときどきお湯に浸かって、じっくりあったまろうと思えた、素敵な文章に出会え、ちょっと心もあったまりました〜。

 

さて、これからお風呂に入ります。