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Masao's Blog ~ BIZARRE ADVENTURE ~

レイディーバグという会社を経営している平世将夫の「奇妙な冒険」Blog

「学び」について①

「教育」より「学び」について益々興味・関心が強まっております。

日々、書籍・ネットからインプットしつつ、色々と思考しているのが

楽しくてしょうがない。

 

「教育」に関するマーケットが大きいこともあってか(1兆円以上)、

「教育」関連のサービスや、取り組みはとても多いですね。

 

一方、「学び」についてはどうか?

 まだまだこれから画期的なサービスが登場する余地が十分にある

分野ではないでしょうか?

 

 

 

ところで、1つご質問です。

 

過去の人生のなかで「自分が学んだと思えるのはどんなとき?」

これを3つあげてみてください。

 

 

 

 

私が自分の場合どうなのか、数秒でパッ思いついたのは以下です。

 1、幼少の頃、海で狩猟生活的なことをした体験

 2、大学時代の舞台監督体験

 3、社会人最初の会社での開発プロジェクトでの体験

詳細は省いているのでざっくりですが、パッと思い出したのは

上記の各シーンでした。

 

そして、以下の書籍からの抜粋を読んでみてください。

※以下はこの本の中からの抜粋です。

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あなたがどんな方法で学びを得てきたのかを知りたいならば、

あなたがコミュニケーションを取っている5人の人間を思い

浮かべてみることだ。そして、それぞれから学んだことを

3つ以上書き出してみる。

すると、たいていの人は公式な学びの場で得た情報よりも、

彼らから学んだことを簡単に思い出すことができるだろう。

公式の場で、役に立つトピックが提供されなかったからでは

ない。人とつながったとき、その交流の経験そのものを我々

は忘れないからである。

そのつながりは我々の中から何らかを引き出したり、感情の

つながりを呼び起こしたりして、再び辿ることのできる足

あとを我々に残す

この反応が学びをより向上させるのだ。

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過去の人生のなかで「自分が学んだと思えるのはどんなとき?」

 

この質問に「学校の授業」と答える方はどのくらいいるのだろう?

推測ですが、あまりいないんじゃないかな。

 

「学ぶ」ということは、とても能動的な行動です。

その能動的な行動が起こる背景には、何らか強烈な体験、

良くも悪くも衝撃的な体験が必要なのではないのでしょうか。

 

私がパッと思い出したことも、全て「強烈な体験」として今でも

鮮明に覚えていることばかりであり、そこには様々な人たちとの

つながりがありました。

 

 

こうした「体験」の「機会の提供」「場の提供」は、「学び」を

促進するオモシロイものになると思うのです。